社員は育てられない、社員は◯◯◯◯◯もの

タイトルに記載したように最初から少し過激な結論を述べようと思う。

社員は育てることができないと思う。

もう少し詳細を書くと育てたい側が、

育てようと思って意図的に育てることができないと思う。

なぜなら、育つ側は勝手に学び、成長していくものだから。

育てたい側は、育てているという解釈ができないこともないけれど、

あくまでもそれは、「育ててもらった側」が一方的に感じることで

育てたと思った側が、「私が育てたんです」というのは、どうかと思う。

大谷翔平さんも誰かに育ててもらって、世界に羽ばたいてるのはもちろんだけど、

正確には、才能があって自ら努力をして勝手に育っていったというのが正しいと思う。

野球を行いやすい環境を整えたり、監督、コーチ、チームメンバーがいて育つのは間違いない。

ただ、大谷選手が少年の頃、監督がいてもし仮に、

その監督と全く話さず、実際は何も関わり合いのない関係だったという人がいたとする。

果たしてそれは、監督という名だけで育てたということになるのだろうか。

監督やコーチという名ばかりだけという人がいて、

もちろん全ての人が、そうではなく人間的に素晴らしい人もいる。

会社でも社長、上司、先輩という立場だけで、「育てた」というのは大部分で間違っている。

もちろん、スポーツや仕事でも、未経験者は最初わからないことだらけだから

技術(テクニック)を「教える」ことはできると思う。

社員へ教えることはできるけど、育てることはできない。

街中で生えてる木も植物も誰かが育ててるのではなく、勝手に育っているように。

日本でこどもの教育が義務でないように、本当の教育とはその人の才能を引き出し活かしてあげること。

学び、成長したいという心を育むことが真の教育だと思う。

本人が学び、成長する意欲と環境さえあれば勝手に育つ。

逆に本人に意欲がなければ、育つことはない。

社員は育てられない、社員は【勝手に育つ】もの